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| ナンタケット島の歴史とバスケット |
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アメリカ東海岸のニューイングランド、マサチューセッツ州にある Cape
Cod の沖30 マイル(約50 km)の大西洋に浮かぶ小さな島、ナンタケット。この名はアメリカのネイティブインディアン、ワンパノク族の言葉で「遠い島」を意味します。この島でナンタケットバスケットは生まれました。17世紀初めにはネイティブインディアンのみが生活する静な島でしたが、イギリス人により開拓されクエーカー教徒の楽園となりました。クエーカー教徒の堅実なまじめさが捕鯨の成功を促したと言われています。メルビルの「白鯨」の舞台にもなったこの島は17世紀から
18 世紀にわたり世界屈指の捕鯨の基地として栄え、捕鯨船は 遠くは日本海、インド洋と地球の裏側まで駆け巡ります。その漁師達がフィリピンや南の島から持ち帰った籐と鯨から採れる油を入れる樽を作る技術が出合い、作り上げられたものがこのナンタケットバスケットです。
島に移り住んだ、クエーカー教徒たち、そしてイギリス衆回派の人々はこの島に移り住んだ時に牧羊を主とした生活をはじめます。ところが周りの海で自由に動き回る巨大な鯨を何かに利用できないかと考えはじめ、島は捕鯨へと産業を変えていきます。もともと手先の器用な彼等にとって捕鯨で得た油を入れるための樽を作るのはそう難しいことではありませんでした。
捕鯨中心で島は栄えていきます。生活全てが捕鯨から成り立っている島の生活が続きます。捕鯨が作り出す豊かさは今でいう石油とおなじような巨万の富です。家々は大きく作られ、それぞれの生活は栄華を極めます。しかし島の小ささや地の利から巨万の富が他の港にとって替わられるまでにそう時間は要しませんでした。
ナンタケット島のまわりには浅瀬が多く、潮流も早いため船にとって非常に危険な海域でした。舟の墓場と呼ばれるほど危険な砂の浅瀬が嵐や潮流により出来ては消えるという船乗りには過酷な領域でもありました。また一年の
40% が霧で覆われるという島で船の航行には危険を伴いました。砂地の為灯台をたてる場所も無く、そこで船舶の航行の安全を守るために考えられたのが「ライトシップ」と呼ばれる灯台船です。この船はナンタケットの沖合いに繋がれ、灯台守が常駐していました。その灯台守には島の樽職人等があたり、灯台を守る間に暇にまかせて作られた物がこのバスケットのはじまりだと言われています。今でも バスケットの各名称は樽の名称と同じで また このバスケットの正式な名前は「ナンタケットライトシップバスケット」といい、成り立ちを思いおこさせます。
その後 島の捕鯨としての役割は安全な港のある、ニューベッドフォードに取って替わられます。近代的な、そして大量の油を積んだ船を浅い港は受けれる事が出来なくなってきたのです。マッコウクジラの宝庫と言われた日本近海への航海への基地欲しさに日本に開国を迫ったペリーはこのニューベッドフォードの出身です。ナンタケット島は20世紀に避暑地として脚光を浴びるまで閑散とした「忘れられた島」となりました。その間にバスケットは数々の人の手にわたり徐々に姿を変えて現在のスタイルを作り出します。ただの「かご」であったバスケットがバックの形をとるのもこの頃です。Jose
Reyes というフィリピン人がナンタケット出身の妻とナンタケットに移住し、Mitchell
Ray に師事しバスケットの作り方を習いますが、自分のオリジナルな形を作りたい、と考えフタ付きのパースを作り出します。それが好評を博し、またそのバスケットを持ち歩いているとそこから会話が弾み友達が増えると言うことから「ナンタケットフレンドシップバスケット」と呼ばれるようになります。ナンタケットバスケット、ナンタケットライトシップバスケット、ナンタケットフレンドシップバスケット、等の名前あるのはこれらの由来があります。のちに高級避暑地として自家用ジェット機やヨットで人々が訪れるようになると網目の細かさや姿の美しいこのバスケットが徐々に人々の間に浸透していき アメリカでも知る人ぞ知るという上流階級の暗号のような存在となります。
しかしなぜここがこれほどの高級別荘地となったのでしょう。この島に移住したイギリス人達は島に非常に高い誇りを感じ、愛情を注ぎ込んだため排他的になったと言われています。メルビルの「白鯨」の中にもいくつかの場面で「あの人はナンタケット人では無い」という差別にも似たニュアンスが使われています。捕鯨の世界ではナンタケット人であるか否かが生死を決めるほどの大事な事であったようです。島は捕鯨の需要により栄えます。今でも残っている数々の古い大きな家々は捕鯨御殿です。島を守る女性がふんだんにお金と時間を使って磨き上げた家々。島の人間としての高い誇り、そういったものが この島の雰囲気を作り出していったのかもしれません。今でも残るオレンジストリートは、捕鯨船のキャプテンの家々が並び、プリーザンドストリートは、捕鯨船の持ち主の家、ユニオンストリートは航海士の家とそれぞれ、住み分けがなされていたそうです。こういった歴史を感じ乍ら島を訪れてみてください。きっとまたすこし違った、ナンタケット島がみられることでしょう。
© 2004, Etsuko Yashiro |
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